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某FPSゲームの話。
このゲームは「ランク」というシステムがあり、上から順に
「プレデター>マスター>ダイヤ>プラチナ>ゴールド>シルバー>ブロンズ」
がプレイヤーに割り当てられる。
最初は全員ブロンズスタートだが、戦績次第で徐々にランクが向上していく。
ちなみにちょっと前までマスターの割合は3%だったらしい。
で、今シーズンはシステムが変わってマスターに行きやすくなったとかなんとか。
詳しい部分は知らないけど、実際プレイしててもなんとな~くマスターは行きやすくなったと思う。
ただ、自分の場合は前期にマスターを達成しているので、マスターに行ける実力の人がすんなり行ける環境になったのか、マスターに行けない人でも届くような環境になったのかは分からない。
そこで巷で囁かれているのが、
「今シーズンのマスターに価値はない」
とか
「これまでのマスターに比べると価値が低くなった」
とか。
それに対して、逆に「素直におめでとうと言えよ」とか「価値下がったとか心狭いなw」とか。
これに対して持論から述べてしまうと、まぁ価値が低くなったと感じるのはそりゃ当然というか…。
マスターに到達すると、マスター限定の装備品みたいなのが配布されるんですけど、割とそれをモチベーションにやってる人も居ると思うんですよ。まぁ僕なんですけど。
ただ、極端な話それが相当数のユーザーに配布されたら、元々持ってた側からするとあまり嬉しくないという心情は誰もが理解出来ると思います。
あなたが血反吐吐くほど勉強して東大に入ったとして、翌年に「今年はいっぱい新入生受け入れたいんで今年はそこそこ頑張ればまぁ入学認めますよ~」って言ったら、ちょっとムッとすると思います。
ここには
「自分は超頑張って東大入ったのに、なんでこいつらはちょっと楽してんだよ」
という思考と
「"東大に入った"って部分がステータスだったのに、皆が入り始めるとそれが無くなる」
という思考があります。
「おー!皆東大入れてハッピーだね!」みたいな思考に至れる人は少数でしょう。
…東大生に限っては。
ここからは僕の偏見というか想像なんですけど、多分上のような例があった場合、
①そもそも東大に入ることすら想定しない人たち(Apexで言うならプラチナ適正の方々)
②東大に対して何の価値も見出していない人たち(Apexで言うならマスター到達が当たり前、もしくはランクを目標として定めていない方々)
これに該当する人たちは「おー!皆東大入れてハッピーだね!」って主張できると思うんですよ。
なぜなら、「東大」というものに一定の価値を見出しているからこそ、それをステータスとして身に着けている自分にもまた価値を見出すのです。
逆に言えば、「東大」に価値を見出さない人は、言ってしまえば「他人事」で済ませられる(自己価値に直結しない為)ので、ちょっと楽して入学した人に何の曇りも無く「おめでとう!」と言えます。
地位でも財産でも情報でもなんでもそうですけど、それが持つ価値ってのは普遍化すればするほど下がっていくものですから、「東大」でも「マスター」でも、その人数が増えた際に「価値が下がった」という意見が出るのは至極自然な現象と言えます。
今回は「マスター」や「東大」をテーマにしたので共感できる人は限られるかもしれませんが、こうした自己価値の見出し方は(それを表出させるかどうかは別として)人間誰もが持つべき感覚でしょう。
例えばよくある自己PRなんかは「自分は他者と比較してこういう価値(ステータス)がある」と主張するものですからね。「他者と比較して」という部分がミソです。
…長々と語っておいて、つまり何が言いたいかっていうと、
・マスターの相対的価値は間違いなく下がった(達成者が増えれば相対的価値が下がるという至極当然の現象)
・ただしゲームは突き詰めると自己満足の世界なので、絶対的価値が下がったかどうかは個人による
・「価値が下がった」と主張する人の心理は至極自然なものなので批判されるべきではない
・ただし「相対的価値が下がった」からといって、従来のマスターとの優劣が付くものではない
・無差別にマスター特典が配布されるわけではないのでマスターは決して無価値ではない
・マスター行った人はなんだかんだやっぱりすごいので誇っていい
ってことです。
改めて、マスター到達した方々はおめでとうございます。